藤沢駅西口の「フジサワ名店ビル」など三つのビルからなる「藤沢391街区」。
今なおふじさわびとに長く親しまれている「昭和保護区」です。
前回はビルの歴史を勉強しましたが、やっぱりここは、開業当時を知る人から直接お話を聞きたい!
ということで今回は、
株式会社「美栄堂百貨店」代表取締役の森睦子さんを訪ねました。
ビルの開業当時を直接知っている、391街区の「生き字引」です。
「フジサワ名店ビルの屋上に、観覧車があったのを覚えているかしら?
あの観覧車乗り場で、私は若い頃にチケットもぎりをしていたことがあるんですよ」
森さんは懐かしそうに語ってくれました。
今でこそ「昭和レトロ」な雰囲気が人気の391街区ですが、
開業当時は時代の最先端。周辺には高いビルもなく、
藤沢駅前のランドマークとして威容を誇っていたそうです。
森さんに当時の写真を見せていただきましたが、まだCDビルは建設中。
確かに、ほかに大きな建物も見当たらず、名店ビルやダイヤモンドビルの立派さが分かります。
観覧車もちゃんと写真に映っていました。
ちなみにこの観覧車ですが、
現在は名店ビル2階、有隣堂藤沢店入り口近くで模型を見ることができます。
森さんは美栄堂の4代目。
もともとは遊行寺の近くに「美栄堂菓子舗」を構え、そこでパンを売っていました。
1923(大正12)年の関東大震災の時は、東京や横浜から多くの人が逃げてきて、パンを買っていったそうです。
昭和の初めに占いで「東南に移れば商売繁盛」と言われたそうで、
現在の391街区に移転。
ここでも近くの工場で働く人たちなどにパンを売っていました。
楽しそうに話される森さんの横に、こんな写真が。
往年の美栄堂の活気が感じられます。
そんなお話をうかがううちに、
ビル開業当時の驚くべき逸話が飛び出しました。
「今のCDビル(ザ・プライム)のあたりは、かつてはうちのパン工場でした。
工場の地下に、祖父が大事にとっていたパン釜があった記憶があります。
確かビルを建てる時、そのまま埋めてしまったかもしれません」
なんと。あのビルの地下に、
今もパン釜が眠っているのでしょうか?
もしいつの日か、この一帯が再開発されてビルが建て替えられることになったら、
地下からパン釜が掘り出されることになるのでしょうか。
とても気になりますね。
さあ、次回はいよいよ、三つのビルのオーナーさん訪問を始めます。